カタリスト・モバイル(米国)取締役
エリック・ビュアトワ ソフィノバ・ベンチャーズ
ゲン・イサヤマ ドール・キャピタル・マネジメント
ラリー・バレルズ カタリスト・モバイル会長
ピーター・ミーハン カタリスト・モバイルCEO
デービット A ハイサ
ジェネラル・パートナー。起業家のエリックに寄せる信頼は高く、大局をつかむ戦略的な思考とビジネスを成長させる方法論、技術を惜しげもなく指南する姿勢に共感する者は多い。
2001年にソフィノバ・ベンチャーズの電気通信部門を統括する前、エリックは通信業界に18年間貢献した。
ヒューレット・パッカードとの14年契約の間、企業経営、PL、ヨーロッパ・アメリカにおけるグローバル戦略事業の各部門を任され、1987年にはHPフランス部門の通信システム事業プロダクト戦略に携わり、社のグローバル事業を統括した。
1994年にはスウェーデンへと移り、エリクソン・ヒューレット・パッカード・テレコミュニケーションAB――サービス・プロバイダへのネットワーク管理システム及び課金システムの提供を主観業務とする資産価値2億ドルとなるグローバル・ジョイントベンチャ――の副社長兼COOを歴任した。またEHPTの役員も務め、1998年にはHPのUS本部に移ると、資産価値3.4億ドルとなるコミュニケーション・ソリューション事業のジェネラル・マネージャとなった。
1983年にテキサス・インスツルメンツにてキャリアをスタートさせ、デジタル・シグナル・プロセッサのヨーロッパ部門プロダクト・マネージャとなると、ワイヤレス・DSP製品群をヨーロッパ市場に導入し、ヨーロッパにおける主要通信機器ベンダーとともにOEMとの契約交渉にあたった。彼の貢献により同社DSP製品はヨーロッパ各地に普及することとなる。
エリックは国立高等情報通信学校にて情報科学、コミュニケーション・エンジニアリングの分野における科学修士を取得している。
ゲンはプリンシパルとして、長年に及ぶ新規事業立ち上げと銀行での経験をもとにDCM U.S.、アジアの新規投資先の選定を行う。DCMの持株会社であるスリング・メディア、ファストモバイル、ビットトレント、オーク・パシフィック・インタラクティブ(mop.com)、オリエンタル・スタンダード、ピクセル、パンドラTV、スカイウェーブ、スター・フライヤー等の経営に携わっている。また、アジア、主に日本における投資先の選定を行っている。
DCMより以前は、みずほファイナンシャル・グループ、前日本興行銀行に勤務し、コーポレート・ファイナンス、ストラクチャード・ファイナンス、デリバティブ、集約的定量法を用いた市場のリスクマネジメント等、広範囲に及ぶ経験を有する。
生まれながらのアントレプレナであり、東京大学在学中にはウェブデザインのコンサルティング会社、アーチ・パシフィックを共同設立した。さらに、サンフランシスコを拠点にASPによる同時通訳ソリューションの提供を行う、アミカイのアドバイザーとして、シリーズBの資金調達及び日本における経営基盤作りに尽力した。現在は、スタンフォード・ビジネスプラン・コンペティションの審査員(Business Association of Stanford Engineering Students (BASES)主催のE-Challenge)も務め、アントレプレナー・コミュニティで活躍中である。
スタンフォード大学で経営学修士を、東京大学法学部にて学士号を取得。
東京生まれ、東京及びニューヨークで育つ。現在はカリフォルニア州パロ・アルトに夫人と三人の子供と暮らす。
カタリスト・モバイルの共同設立者ラリー・バレルズは、ウェーブフロント・テクノロジーズ社――映画・テレビ・工業デザイン等のヴィジュアル関連市場を中心としたコンピュータグラフィック・ソフトウェア界のパイオニア的存在――の共同設立者であり会長兼CEOも歴任した。ウェーブフロント社は1994年に株式公開し、その年の優良企業10社のうちに選ばれた。ウェーブフロント社は1995年にシリコングラフィックス社と合併することとなる。また、ソフトウェアドットコム社(キャリア向けメッセージングサービスシステムを提供する企業)の会長を歴任する。
バレルズは設立当初より投資し、その後AT&T社、シスコ社等とパートナー契約を結ぶことで、多面的な資金支援を行った。1999年に新規株式公開をすると、6ヵ月後にはソフトウェアドットコムは資産39億ドルの値がつき、2003年にフォンドットコムと合併し、オープンウェーブ・システムズを設立すると、その資産価値は64億ドルにまで達した。
バレルズは起業を繰り返してきた自身のことを「シリアル・アントレプレナー(連続起業家)」と称している。現在も全米企業取締役協会に在籍し、上場/非上場企業の取締役を歴任。<Forbes><Time><Venture><Entrepreneur>誌を含む出版物では常に彼の特集が組まれている。
カタリスト・モバイルの共同設立者ピーター・ミーハン氏は、マクロメディア社(現Adobe社)のモバイル端末担当上級副社長のキャリアを持つ。同部門の設立メンバーとしてモバイルおよび家庭用電化製品をターゲットとする社の方針を定めた。また、ソニーにてプラットフォーム・ソフトウェア開発センターの部長、家電・HAVi家庭内ネットワーク対応AV機器マーケティング部創設時の推進役を務め、各方面にてイニシアチブを取りソニーに貢献した。
ミーハンのソフトウェア開発キャリアは早稲田大学への留学後、東京でスタートする。彼はオレゴン大学でヴィジュアル・デザイン/コンピュータ・グラフィックスおよびアジア研究の分野で学位を取得している。もちろん日本語も堪能である。
ミーハンはコンピュータグラフィックス・エンターテインメント業界にて13年の経験を有し、ビジネス開発、インターナショナル事業のマネジメントにも携わった経験を持つ。シリコングラフィックス社、エイリアス・ウェーブフロント社にてエンジニアの経験やハリウッドのメトロライトスタジオではアニメータとして1992年にエミー賞を受賞したNBCバルセロナオリンピック映像作品を手がけた。95年のACMシーグラフ会議では副議長を務め、何年にも渡りACMシーグラフ会議実行委員会の活動を行った。
デービット A ハイサは、ワイアレス業界に於ける幹部的存在であり、企業家でもあり、New Wave Partnersで、ジェネラル・パートナー(無限責任社員)として、最先端の企業に向けて、ワイアレス・コミニュケーションに於けるアドバイスを続けています。大手ベンチャー投資会社2社で、駐在幹部(Executive-in-Residence)として、又、ベルギーの Option, Ltd.(EuroNext: OPTI) を含む複数の民間企業、及び株式公開企業の取締役員の一人として務めています。
ハイサは以前、ヨーロッパでのT-Mobileに於ける全てのハンドセットの選択、マーケティング、及び開発を担当、T-Mobileの端末上級副社長としての経験を有します(年間
20億ポンド以上)。Silicon Wave(現Qualcomm の一部)、LGC Wireless (現ADC の一部)、Motorola、McCaw Cellular (現at&t Wireless)、AT&T Network Systems (現Alcatel-Lucent)、そして、AT&T Microelectronics (現LSI Logic/Infineon)を含む、業界最高レベルの企業や成功している新事業のモバイル通信ハンドセット、ソフトウェア、インフラストラクチャ、サービス、そして、システムオンチップ・ソルーション各部門でリーダーとしての役割を果したキャリアを持ち、加えて、Bell Laboratories の最初の海外部門を設立しました。
最初のオープンなインターネットモバイルサービス提供(T-Mobileの「Internet in Your Pocket」)の展開を開始、PDA ブランドのトップ5になる等、T-Mobile をハンドセットリーダーに育て上げました。世界初のブルートゥースチップセット基準を立ち上げ、又、世界初の分散建物内アンテナシステムの出荷を可能にし、大手のモバイルキャリヤ(台湾のFarEasTone)の形成を達成するための事業を開始しました。更に、世界初の3Gハンドセット契約の取得(1996年、NTT DoCoMo への供給業者5社の内の1社)を果たし、ヨーロッパ、アメリカ、日本やアジアでの新しいモバイルサービスと製品の開発、ブランド化、及びマーケティングの成功に携わりました。これらの業績を含み、ハイサは業界に於ける革新を興しました。
ハイサは、ニューヨークのコロンビア大学にてMBAを取得し、ホーリークロス大学で学士号を取得しています。彼は、サンフランシスコベーエリア、及びアジアに於いて、地域開発や教育プロジェクトの支援に積極的に携わっています。カリフォルニア州の人であり、結婚して2人の子供を持ち、現在サンフランシスコベーエリアに在住しています。